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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)8116号 判決

甲事件原告

山田都之良

右訴訟代理人弁護士

二村豈則

数井恒彦

乙事件原告

水野ちえ

水野和人

水野園子

右両名法定代理人親権者母

水野ちえ

右三名訴訟代理人弁護士

数井恒彦

甲事件被告

大同生命保険相互会社

右代表者代表取締役

福本栄治

右訴訟代理人弁護士

木田好三

平山三徹

金川治人

甲事件被告

エイアイユーインシュアランス カンパニー

(エイアイユー保険会社)

右日本における代表者取締役

堺高基

右訴訟代理人弁護士

服部邦彦

関本隆史

乙事件被告

明治生命保険相互会社

右代表者代表取締役

土田晃透

右訴訟代理人弁護士

柏木義憲

主文

一  甲事件原告の同事件被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

二  乙事件原告らの同事件被告に対する各請求をいずれも棄却する。

三  甲事件の訴訟費用は同事件原告の負担とし、乙事件の訴訟費用は同事件原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(甲事件)

1 被告大同生命保険相互会社は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年四月一〇日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2 被告エイアイユー保険会社は、原告に対し、金八〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年四月一〇日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は、被告らの負担とする。

4 仮執行宣言。

(乙事件)

1 被告は、原告水野ちえに対し、金六〇〇万円及びこれに対する昭和五九年四月二四日から完済まで年六分の割合による金員、同水野和人、同水野園子に対し、各金四五〇万円及びこれに対する昭和五九年四月二四日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は、被告の負担とする。

3 仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

(甲事件―被告ら共通)

主文第一項及び第三項中甲事件関係部分と同旨。

(乙事件)

主文第二項及び第三項中乙事件関係部分と同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外株式会社樹工(以下、「樹工」という)は、被告大同生命保険相互会社(以下、「被告大同生命」という)との間で、被保険者を亡水野文彰(以下、「文彰」という)、受取人を樹工とする次の保険契約(以下、「本件A保険契約」という)を締結した。

① 保険証券番号 (五一七)二四五六九八

② 契約日 昭和五八年一月一日

③ 保険の種類 定期保険・一〇年満期

④ 保険金 三〇〇〇万円

⑤ 給付の原因 被保険者の死亡

2  訴外全国法人会総連合は、被告エイアイユー保険会社(以下、「被告エイアイユー」という)との間で、被保険者を文彰、受取人を樹工とする次の各保険契約(以下「本件B・C保険契約」という)を締結した。

(本件B保険契約)

① 契約証番号 二A八二六四六

② 契約日 昭和五七年五月一日

③ 保険の種類 昭和五七年五月一日より一年間(それ以降は自動継続扱い)の普通傷害保険

④ 保険金 五〇〇〇万円

⑤ 給付の原因 被保険者の事故による傷害(死亡)

(本件C保険契約)

① 契約証番号 三A四五六九八

② 契約日 昭和五八年一月一日

③ 保険の種類 昭和五八年一月一日より一年間(それ以降は自動継続扱い)の普通傷害保険

④ 保険金 三〇〇〇万円

⑤ 給付の原因 被保険者の事故による傷害(死亡)

3  文彰は、被告明治生命保険相互会社(以下、「被告明治生命」という)との間で被保険者を文彰、受取人を原告水野ちえ(受取割合四割)、同水野和人(同三割)、同水野園子(同三割)とする次の保険契約(以下、「本件D保険契約」という)を締結した。

① 保険証券番号 二二―七〇九九三三

② 契約日 昭和五四年三月二四日

③ 保険の種類 災害倍額定期保険特約付保険(ダイヤモンド保険ゴールド)、八〇歳満期

④ 普通死亡保険金 一五〇〇万円

⑤ 災害死亡保険金 三〇〇〇万円

⑥ 給付の原因 ④については被保険者の普通死亡、⑤については被保険者の災害による死亡(⑤が支払われるときは、④は支払われない。)

4  文彰は、昭和五八年六月二七日午前三時四〇分頃、滋賀県坂田郡山東町長久寺地内名神高速道路上り線三九五・四キロポスト付近路上(以下、「本件道路」ともいう)において、訴外吉野保夫運転の普通貨物自動車(石一一い五一一三号。以下、「吉野車」という)にはねられ、頭蓋底骨折に基づく脳挫傷により死亡した。

5  樹工は、本件ABC各保険契約に基づく、被告大同生命に対する債権(死亡保険金請求権三〇〇〇万円)及び被告エイアイユーに対する債権(傷害保険金請求権八〇〇〇万円)を、いずれも昭和五八年一〇月一二日原告山田都之良(以下、「原告山田」という)に対し譲渡した。

よつて、原告山田は、被告大同生命に対し本件A保険契約に基づき三〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年四月一〇日から、被告エイアイユーに対し本件B・C保険契約に基づき八〇〇〇万円及びこれに対する前同日から、原告水野ちえは、被告明治生命に対し本件D保険契約に基づき災害死亡保険金三〇〇〇万円から普通死亡保険金として受領した一五〇〇万円を控除した一五〇〇万円の四割に当たる六〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年四月二四日から、原告水野和人及び同水野園子は、同被告に対し本件D保険契約に基づく前同趣旨の一五〇〇万円の三割に当たる各四五〇万円及びこれに対する前同日から、各完済まで商事法定利率年六分の割合による各遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

(被告ら)

請求原因1ないし4の各事実は認めるが、同5の事実は知らない。

三  抗弁(被告ら)

1  保険金不払特約

(一) 本件A保険契約には、給付原因である被保険者の死亡が「給付責任開始の日からその日を含めて一年以内の自殺」によるときは保険金を支払わない旨の特約があり、右契約の給付責任開始の日は昭和五七年一二月二〇日である。

(二) 本件B・C各保険契約には、給付原因である被保険者の死亡をもたらした傷害が「被保険者の故意」「自殺行為」によつて生じたときは保険金を支払わない旨の特約がある。

(三) 本件D保険契約には、災害死亡保険金につき「被保険者がその故意または重大な過失」により死亡したときは保険金を支払わない旨の特約がある。

2  文彰の自殺

文彰の死亡は、自殺によるものであるから、右各特約条項の「給付責任開始の日から一年以内の被保険者の自殺」、「被保険者の故意」による死亡に該当する。したがつて、被告らに本件各保険金の支払義務はない。

文彰の死亡が自殺によるものであることは、次の事情からみて明らかである。

(一) 文彰は、自己が昭和五四年五月に創業した樹工の代表取締役として婚礼家具類の販売業を営んでいた者であるところ、樹工の取引先である株式会社うえの屋(富山市所在、以下、「うえの屋」という)が、昭和五八年六月二三日富山地方裁判所に自己破産の申立てをして倒産した。うえの屋は樹工の主要な取引先であり、樹工の売上高の五割以上はうえの屋との取引によるものであり、昭和五八年六月当時の樹工のうえの屋に対する債権は、売買代金のほか貸付金を含めて約一億四〇〇〇万円にのぼつていたが、樹工は、うえの屋の倒産のため右債権の回収が不能となつた上、そのあおりをうけて六月二五日には手形の不渡りを出してしまい、倒産必至の事態に立ち至つたので、弁護士とも相談して、六月二七日には名古屋地方裁判所に対し自己破産の申立てをすることになつた。その間、文彰ほか樹工の従業員は、破産申立ての準備や債権者との応対に忙殺されていた。

(二) そのようなことがあつたため、文彰は、うえの屋倒産後その代表取締役である上野照夫(以下、「上野」という)と連絡をとることに努めていたが、六月二六日午後一〇時頃になつてようやく上野と電話連絡がとれたので、資金の融通や代金未納の売渡商品の返却を求め、直接会つて相談したい旨申し入れたが、いずれも断られたため、樹工の債権者に満足のいく弁済ができる見込みがなくなり、前途について絶望的な気持ちに陥つた。

(三) 六月二七日午前〇時から二時頃にかけての深夜、樹工の事務所に泊まり込んでいた実兄の水野喜紀や従業員の和田宏が眠つている間に、行き先を告げることも書置きをすることもなく、文彰は、一人事務所から普通乗用自動車(尾張小牧五五ゆ二二二三号)に乗つて外出した。その後、文彰は、名神高速道路下り線に一宮インターチェンジから入り、米原インターチェンジまで走行して一旦高速道路を出、再び同インターチェンジから今度は名神高速道路上り線に入り、関ヶ原インターチェンジまで走行したのち、同高速道路を出てこれと並行している国道二一号線を西進して米原インターチェンジに戻り、同インターチェンジから三たび名神高速道路に入つて上り線を東進して、本件事故現場である滋賀県坂田郡山東町長久寺地内名神高速道路上り線三九五・四キロポスト付近(この距離は東名高速道路東京インターチェンジを起点として計測したもの)にいたつた。このような行きつ戻りつの走行は異常であり、文彰が死場所を求めて走行したものというしか合理的な説明がつかない。

(四) 文彰は、本件事故現場の手前約八〇〇メートルの三九六・二キロポスト付近で、左側ガードレールに自己の運転する車を衝突させ、その後も四回位断続的に左側ガードレールに接触しながら走行した。その間、文彰の車は三九六・〇キロポストと三九五・九キロポストの間で左前輪タイヤを落下させ、更に三九五・五キロポスト地点のガードレールを長さ約九メートルにわたつて湾曲させ、同所に左前輪ホイルを落下させ、なおも約一一〇メートル進行してようやく停止した。このような文彰の車の走行方法からみて、意図的な自損行為を繰り返したものであることは明らかである。

(五) そのようにして停車した三九五・四キロポスト付近で文彰は車から降り、吉野車が進行してくる走行車線中央部に飛び出してしやがみ込んだため、吉野車は左前部バンパーを地上高六〇ないし八五センチメートルの位置で文彰の頭部に衝突させた。この事故現場は見通しのよい道路状況であり、文彰としても、吉野車が接近してくるのが見えないような場所ではなかつた。

3  文彰の重過失(被告明治生命)

仮に文彰の死亡が自殺によるものでないとしても、次のとおり文彰には重過失があつたというべきである。すなわち、仮に、文彰が本件現場付近でガードレールに自車を接触させ結果走行できなくなつて停車し、車外へ出て救援を求めようとしたものであるとしても、現場は高速道路上なのであるから、走行車線に出ていくときには車が接近してこないことを確認したうえで行動すべきであり、事故現場の見通しの良さからすれば極めて僅かの注意を払えば車の接近の有無は容易に確認することができ、事故を回避することができたにもかかわらず、なんら確認しないまま漫然と走行車線に入つていつた文彰には重大な過失があり、本件事故は文彰の右重過失によつて発生したものである。

したがつて、文彰の死亡は前記保険金不払特約の「被保険者の重過失」による死亡に該当するから、被告明治生命に保険金支払義務はない。

四抗弁に対する認否(原告ら)

1  文彰の死亡が自殺によるものであることは否認する。文彰は、次のとおり、疲労と睡眠不足のため車の運転操作を誤つてガードレールに接触し走行できなくなつて停車し、車外へ出て救援を求めようとしたところを、吉野車にはねられて死亡したものである。そのことは次の点からも明らかである。

(一) 文彰が樹工の代表取締役であつたこと、うえの屋の倒産のあおりを受けて樹工が倒産必至の事態に立ち至つたことは被告ら主張のとおりであるが、倒産自体は世間によくあることであるし、文彰は、弁護士に相談して樹工の破産申立ての準備をし、破産宣告後は破産管財人に処理を任せればよいことを十分理解しており、債権者から脅迫されていた事実もなかつたのであるから、自殺を考えなければならないような状況ではなかつたし、家族にそれをほのめかすような言動も全くなかつた。

(二) うえの屋倒産後文彰が上野と連絡をとることに努めており、六月二六日午後一〇時頃上野と電話連絡がとれたことも被告ら主張のとおりである。しかし、その際の上野との話し合いで、文彰が富山まで出向いて同人と会うことになり、そのために六月二七日深夜車で樹工の事務所を出発したのである。ところが、その途中で文彰は、二十七日朝弁護士に破産申立てに必要な書類を持参しなければならないことを思い出して名古屋に引き返そうとしたが、また思い直して富山方面に向かい、そのようなことから関ヶ原・米原間を行きつ戻りつする行動をとることとなつたものである。当時文彰は、二四日から二六日まで不眠不休で債権者と応対していたことから極度の疲労状態にあり、そのために同じことを繰り返したものと考えられる。

(三) 文彰の車が何度もガードレールに接触していることは認めるが、文彰は右のような極度の疲労状態、睡眠不足と倒産の悩みからもうろうとなりながら運転していたためにそのような接触事故を起こしたものであつて、意図的に接触させたものでは決してない。そもそも、真実文彰が自殺するつもりであつたのであれば、もつと確実に自殺できる場所と方法を選んだはずであり、本件事故現場の近くにもそれに適した場所はいくらでもあるのである。ガードレールへの接触というのは死亡の目的を確実に遂げるためには極めて稚拙かつ不自然な方法であり、それが自殺を意図しての行動とみることはとうていできない。

(四) 文彰がしやがみ込むような低い姿勢で吉野車と衝突したことも争わないが、これは、文彰が前記のようにもうろうとした状態で運転し、かつガードレールへの接触のため頭を強打したため、気も動転し四囲の状況がのみ込めないまま車外へ出て救援を求めるべく吉野車のライトの方向に進んだところ、疾走してくる同車の接近に気付いて、一瞬恐怖のためにその場にしやがみ込んでしまつたもので、車の前に飛び込んだためにそのような姿勢になつたものではない。

2  本件事故発生につき文彰の重過失があることは否認する。文彰が走行車線に出たのは、右(四)のとおりの事情からであり、文彰のこのような行動につき重過失があるとするのは酷にすぎる。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1ないし4の各事実については、当事者間に争いがない。

二抗弁1(一)ないし(三)の各事実(保険金不払特約)については、原告らは明らかに争わないので、これを自白したものとみなすべきところ、被告らは、文彰の死亡は自殺によるものであると主張し、原告らはこれを争うので、以下、この点について判断する。

1  本件全証拠を検討しても、文彰がその死亡前に、遺書を書き置いたり、家人や樹工の従業員らに自殺の意思を表明したりしたことを窺わせるような的確な証拠はみあたらない。

しかしながら、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  文彰は、昭和五四年五月に自らが中心となつて創業した婚礼家具類の販売を業とする会社である樹工の代表取締役であつたところ(この点は当事者間に争いがない)、同会社は従業員が文彰を含めて九名程度の小規模の会社であり、自己所有の不動産はなかつたが、事務所及び倉庫を賃借して営業を行つており、昭和五八年四月末決算期においては約五〇〇万円の黒字を出すなど良好な営業成績を上げていた。

(二)  ところが、樹工の取引高(売上高)の五割を超える大手取引先であるうえの屋が、昭和五八年六月二三日富山地方裁判所に自己破産の申立てをして倒産したため、樹工も、うえの屋に対して有していた売買代金債権のほか貸付金を含めて約一億四〇〇〇万円の債権の回収が不能となり、六月二五日には四〇〇万円余の決済資金の工面がつかず支払手形の不渡りを出してしまつた上、六月末日支払期日の支払手形の決済も見込みがたたず、銀行取引停止処分を受けることが必至の事態にたちいたつた。六月二五日の時点における樹工の資産は約二億三七七四万円であるのに対して、負債は約二億八〇二九万円で、帳簿上は差引き約四二五五万円の債務超過であつたが、うえの屋に対する回収不能の債権を差し引くと、実質は約一億八〇〇〇万円の債務超過であつた。

(三)  樹工の債権者らは、六月二四日夕方から連日樹工の事務所及び倉庫に押し掛けて繰り返し在庫商品の引渡を要求し、いつ在庫商品が実力で搬出されるかもしれない状態となり、また、樹工振出の手形が暴力団の手に渡つたという噂も流れて、暴力団関係者が押し掛けてくる事態の発生さえ憂慮される状態となつた。そこで文彰は、自宅(愛知県春日井市)にまで債権者が押し掛け家族に威圧を加えるようになることを心配して、六月二五日妻に対し、子供二人を連れて愛知県一宮市内の妻の実家に一時帰つて姿を隠しておくように命じたほどであつた。

一方、文彰は、六月二四日以来弁護士と相談して、六月二七日に樹工の自己破産の申立及び右のような債権者らの動きに対抗するための在庫商品及び樹工所有名義の自動車を仮に差押さえる旨の破産宣告前の保全処分の申立(これについては、申立のあつた二七日に即日相当と認める決定が出された。)をすることとしたため、文彰及び従業員は多数の債権者との応対や破産申立等の手続の準備に忙殺され、六月二五日には自宅に帰らずに樹工の事務所(愛知県西春日井郡清洲町)に泊まり、翌二六日も実兄の水野喜紀や従業員の和田宏らとともに同事務所に泊まり込む態勢をとつていた。

(四)  その間、文彰は、うえの屋倒産の知らせを受けた六月二四日以降その代表取締役である上野と何とか連絡を取りたいと考え何度も電話を架けていたが、なかなか連絡がとれないでいたところ、六月二六日午後一〇時頃になつてようやく上野と電話連絡をとることができたので、その機会に上野に対して、「金を持つて出ているのなら半分位こちらへ融通してくれ、樹工がうえの屋から購入したまま保管してもらつている仏壇と欄間とを直ちに引き渡してほしい。」などと申し入れた。しかし、上野はそれに応ずる返事をせず、直接会つて話をしたいという文彰からの申入れに対しても「債権者から身を隠しており、今は動けない。」といつて断り、その所在も明らかにしようとしなかつた。

(五)  そのようにして文彰は、六月二七日午前〇時から二時頃にかけての深夜、樹工の事務所に泊まり込んでいる水野喜紀らが眠つている間に、行き先を告げたり書き置いたりすることもなく、一人でひそかに右事務所から普通乗用自動車を運転して外出した(文彰がその頃事務所から外出したことは、当事者間に争いがない。)。

(六)  その後文彰は、樹工の事務所から名神高速道路の一宮インターチェンジに向かい、同所から右道路の下り線に入り、米原ジャンクションまで走行して、同所から一旦高速道路を出た。そして、再び同所から今度は名神高速道路の上り線に入り、関ケ原インターチェンジまで戻つた後、同高速道路を出てこれに並行している一般道路(国道二一号線)を西進し、再び米原ジャンクションまで走行した上、同所から三たび名神高速道路に入り、上り線を東進して本件事故現場である滋賀県坂田郡山東町長久寺地内名神高速道路上り線東京起点三九五・四キロポスト(通称関ヶ原トンネル入口の手前約二〇〇メートル)付近に近付いていつた(文彰が米原・関ヶ原間を行きつ戻りつの走行をしたことについては、当事者間に争いがない。)。

(七)  本件事故現場の約八〇〇メートル手前である滋賀県坂田郡山東町柏原地内名神高速道路上り線三九六・二キロポスト付近(同所は半径四八〇メートルの右カーブを描く道路構造となつている。)にいたるや、文彰は、国道二一号線への転落防止のために設置されている高さ約〇・九メートルの左側ガードレールに自己の運転する車を接触させ、その後もなお三九五・九キロポストまでの三〇〇メートルの間において四回も断続的にガードレールに接触させた(ガードレールの接触痕は延約一一三メートルにわたつて認められた。)。そのため、文彰の車両は、バンパー用のゴム、左前輪タイヤ等を順次脱落させ、かつ約四六〇メートル右道路の路肩から走行車線・追越車線に擦過痕を残しつつ右にゆるやかな孤を描くように走行し、三九五・五キロポスト付近のガードレールに衝突して長さ約九メートルにわたつてこれを湾曲させ、同所に左前輪ホイルを落とし、そこから更に三輪で約一一〇メートル進行して、走行不能となつたためようやく停止した。その結果、右車両は、左前部フェンダーが左前方から後部に圧迫された状態で凹損し、左前輪ショックアブソーバ、ストラット、ロアアームが折れたほか、右のとおり左前輪タイヤ及びホイルが外れ、左前部及び後部のゴム製バンパーカバーが外れてバンパーが凹損(前部)又は破損(後部)し、車体は、地上高〇・八メートルの位置で全体が擦過状態で凹損し白色塗料が剥離し、左側前照灯・方向指示器(前後部)・ブレーキ灯の各レンズが破損した状態となつた。

(八)  そのようにして、ようやく三九五・四キロポスト付近で文彰の車は停車したが、その後同人は車から降り、走行車線中央部まで出てしやがみ込んだため、六月二七日午前三時四〇分頃、折柄走行車線を東進してきた吉野車が衝突を回避すべく右にハンドルをきつたものの間に合わず、左前部を文彰に衝突させた(文彰が走行車線に出てしやがみ込んだことについては当事者間に争いがない。)。本件事故現場付近の道路はほぼ直線で、照明設備が近くになく暗かつたが、見通しは良く、路面は湿潤状態であつた。また、吉野保夫は、業務上過失致死事件の被疑者として取調べを受けたが、昭和五八年一一月一一日不起訴処分とされた。

以上認定の事実関係からすれば、文彰は、樹工がうえの屋倒産のあおりを受けて不渡手形を出し連鎖倒産の危機に瀕したことから、誰からの資金援助も期待できないまま、在庫商品の引渡を求めて殺到する債権者に対する応対を余儀なくされ、このような債権者から家族を保護すべく妻の実家に身を隠すよう指示するほど切迫した状況に置かれて苦慮していたものと認められるばかりでなく、深夜何のあてもないまま誰に告げることもなく一人ひそかに樹工の事務所を抜け出して、自動車で名神高速道路に入り、関ヶ原・米原間を行きつ戻りつするという不可解な行動をとつた挙句、ガードレールに合計六回も接触ないし衝突して左前輪タイヤ・ホイルも脱落したのになおも約六〇〇メートル走行した後、車外に出て走行車線中央部にしやがみ込んでいたところを走行してきた車にはねられたものであつて、このような本件事故に至るまでの経過、事故直前の状況、事故それ自体の態様等を併せ考えると、文彰は、本件事故現場付近に至つた際、自らの意思で自損事故を起こそうとしてガードレールに接触し、あえて車が走行不能になるまで停止することなく走行し、それが功を奏さないとみるや、ついに走行車線中央部にわが身を置いて走行してきた車と衝突して死亡したもの、すなわち自殺によつて死亡したものと推認するのが相当である。

もつとも、甲ロ第八号証(新聞記事)によると、本件事故は、文彰車がガードレールに接触して故障したため、非常電話を探すため文彰が走行車線を横断中吉野車にはねられたものである旨新聞報道された(六月二七日付、ただし朝刊か夕刊かは不明)ことが認められる。しかし、これは迅速な報道を使命とする新聞が事故後短時間のうちに、不完全な情報をもとに本件事故の外形的事実のみを記事にしたものにすぎないとみられるので、右推認を妨げるに足りるものということはできない。また、甲ロ第一二号証(意見書)は、自動車整備の資格を有すると称する人物が、文彰車の現物及び事故現場の道路状況を見た上、自己の知見により乙第一一号証に反論を加えて、本件事故が文彰の故意によるものではなく、同人の過失によるものと考えてもおかしくないという趣旨の意見を述べているものであるが、これも作成者の印象と一般的な可能性とを述べたものにすぎないから、右推認を妨げるほどの証拠ということはできない。更に、原告らは、文彰が真実自殺するつもりであつたのであれば、名神高速道路内においても、より確実に自殺できる場所と方法とを選ぶことができた筈であるから、文彰車がガードレールに接触したことをもつて自殺を意図した行動とみることはできない旨主張するが、文彰がガードレールに車を接触させた後の前記認定のような走行状態は意図的なものとみるほか合理的に説明することのできないものであるから、原告らの右主張も採用するに由ないものというべきである。しかも他に右推認を妨げるに足りる事情及び証拠は存在しない。

2  そうすると、文彰の死亡は自殺によるものであつて、本件A保険契約中の特約条項である「給付責任開始の日から一年以内の被保険者の自殺」により死亡したとき、本件B・C各保険契約中の特約条項である被保険者の死亡をもたらした傷害が「被保険者の故意」「自殺行為」によつて生じたとき、本件D保険契約中の特約条項である「被保険者がその故意」により死亡したときに、それぞれ該当するものということができるから、被告らは各保険金の支払義務を負わないものというべきである。

三以上の次第で、原告らの被告らに対する本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官加藤新太郎 裁判官浜 秀樹)

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